最初から大きな相違点である、タイトルの問題に入ることになります。
これは、般若心経の翻訳にかかわる秘密部分の一つと言っても良いのではないでしょうか。
梵文とは大きく異なるところです。
玄奘ではタイトルであるかのように、「般若波羅蜜多心経」で始まっていますが、貝葉では「帰命一切智者」になっています。
貝葉では先ず最初に、「全智者に礼し奉ります」と述べているわけです。
ここで貝葉と言ってしまいましたが、校訂訳文の意味です。以下このように述べます。
浄土真宗のお経には、「帰命無量寿如来」で始まるお経があります。
色々の言い方があるようですが、「帰命」は「南無」とも言われます。
この「南無」は、「ナマース」から来ています。梵文を見ると「ナマース、サルバジュニューヤ」になりますが、「ス」と「サ」が一緒に発音され、「ナーマッサルバジュニャーヤ」となっています。
その「ナマース」は、今でもネパールの地方では、「今日は」などの意味で挨拶に使用されていると聞いています。
要するに貝葉では、絶対服従の意味を持って、仏の教えを信じます、と言う所から入っているわけです。
それなのに玄奘はなぜ最初にこの言葉を持ってきたのでしょう。
直接お尋ねする事も出来ませんし、そのことを論じた文献も私は存じませんので、勝手な解釈をさせて頂く事になりますが、おそらく、タイトルを設けるべきだと考えたのではないでしょうか。
以下の所にも随所に出てまいりますが、玄奘は、真意を理解し悟っていたからこそ、このようにしたのではないかと私は思います。
この部分は、実は梵文の末尾に示されているのですが、今から何を述べるのか、それを一言で最初に示すためにはその末尾部分を最初に述べるべきだと考えたのではないかと思うのです。
わが国の読誦用では、さらにこの題名の上に「摩訶」あるいは「仏説摩訶」の題字が付けられています。