解析のまとめ
多くの経典がある中で、この般若心経ほど端的に全てを物語っている経典は少ないのではないでしょうか。
仏陀の言いたかったことを余すところなく物語っていると思います。
その背骨となる論理が非常に明快に浮き出されており、冗舌になることなく、しかも的確に言い得ているのです。
玄奘の素晴らしさもさることながら、そのようにすばらしい梵字般若心経は現実にはどなたが書かれたのでしょうか。
仏陀から直接教えを受けられた方々よりも後代の方の作だと思われます。
口伝えという方法も非常に確かな方法なのだと感心してしまいますし、大般若経のすごさには敬服してしまいます。
大乗仏教は空の思想を心柱にしているように私は思います。その考え方は極めて理解することが難しいといわざるを得ません。
ただ聞いただけで理解できるようなことではありません。もし出来るのであれば修行など必要ありませんから。いや、大体において理解するとかしないとかの世界ではないのかも知れません。
しかしこの原理を明らかに、要領よく示したのがこの書であると思います。
ところが、この貝葉経の般若心経と玄奘の漢訳般若心経がどのように違い、どのように合っているのか直接比較した文献は私の調査では見当たりませんでした。
貝葉経の漢訳般若心経そのものは色々公表されており、解説もされています。
また断片的にはなされているのですが、どういう訳か、全文にわたって比べられている例にめぐり会うことができませんでした。
それでそのような訳文や部分的比かくなどを集めて一まとめにしてみたわけです。
その結果、法隆寺貝葉経の漢字訳と比較することによって、色々のことが一目でわかるようになりました。
そうして見てみると、
まず第一に、「度一切苦厄」を挿入し、魅力を明確にしていることだと思います。また、貝葉経では末尾に来ている「般若波羅蜜多心経」を冒頭に置き、表題としたことです。 特にこの二点が印象的であり、般若心経が愛される経典になっている秘密だと思います。
大般若経のエッセンスとしてこの般若心経を作り、貝葉経としてまとめられた方はなんと素晴らしい方でしょう。
そして玄奘という方はなんと立派な方でしょう。全く尊敬に値する方だと感じますし、敬服いたします。
貝葉の梵字からその意を汲めば、正しくは般若波羅蜜多心経と言うべきですが、私の掛軸での表題は「多心経」とさせて頂きました。
これを縮小複写し、インテリアとして作成してくださった友人、中村氏に感謝の意を示し、解析を終わりたいと思います。
有難うございました。
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