2 天 天というのは、弁才天とか帝釈天などのことですが、そのほかにも仁王さまとか閻魔様も含まれます。 インドでは仏教の始まる前から、多くの神が伝説や神話として信仰されておりました。 仏教も縁起であるとか空という思想を持ちながらも、多くの人々に取り入れてもらうために、そういう神々を取り入れてきたのです。 梵天 梵天というのは、原語ではブラフマンといいますが、ブラフマンというのは元は祭祀を行う際の呪文を指す言葉であり、その呪文は神秘的で、あらゆるものを創造します。 この、あらゆるものを創造して自在に操る力を持った神をブラフマンといい、これを漢訳において梵天と言ったわけです。 このブラフマンはインドにおける神々の中で最高位に位置する神です。 仏教ではそのブラフマン即ち梵天を取り入れることとし、梵天が仏教を守ってくれるものとしました。また仏陀が悟りを得た時、仏陀に、多くの人に布教活動を行うよう勧めたのは梵天であったとされています。 梵天の像は中国風の少し厚みのある優雅な衣装を着ており、冠というよりは帽子に近い宝冠を冠っています。手には払子や鏡を持つこともあります。 帝釈天 帝釈天もやはりインドの古い神で,これを仏教が取り入れました。仏陀の誕生や出家のときに現れたり、修行時代には鬼という位置づけで登場するなどとしています。 この神は、四天王などを使って娑婆の様子を探り、悪事を見逃さないように監視しています。 梵天とともに最高位に位置します。 帝釈天の像は、梵天と同じように中国服を着ており、帽子のような宝冠を冠っていますが、衣の下に鎧を着けているのが特徴です。 四天王 これも古いインドの神ですが、東西南北の四方を守る偉大な王という意味で、四つの神を仏教が取り入れたものです。 持国天は国を支え、 増長天は生命力によって仏教を守り、 広目天は千里眼を持って娑婆を見渡し、 多聞天は、仏教をよく聞き、よく理解し、精通しており、色々の神を率いて仏教を守るとされています。 四天王の姿は、中国的な鎧を身に着け、悪魔を踏みつけています。悪魔を踏みつけているのは、仏教を邪魔するものから守っているということを表しています。 この踏みつけられている悪魔は煩悩を意味し、天邪鬼(あまのじゃく)といわれます。 毘沙門天 多聞天のことですが、四天王としてではなく、単独で祭られるときに呼ばれる名前です。 右手に宝塔を持ち、左手に金剛棒を持って、天邪鬼を踏みつけている像に作られます。 吉祥天 幸福とか繁盛を意味する女神です。 仏教に取り入れられて吉祥天と呼ばれるようになりましたが、吉祥天は毘沙門天の妻であるとされています。 この女神吉祥天は、衣食財宝を与えてくれ、穀物の実りを約束してくれます。 豪華な中国風の衣装を着て、宝冠を冠り、左手には何でも願い事をかなえてくれる如意宝珠を持ちます。 右手にはなにも持ちません。 弁財天 弁財天の初めは川即ち河川の神であったのですが、川の流れる音から音楽の神となり、音楽の流暢さから弁舌の神となり、弁舌のたつことから学問の神となり、幸福や財宝をも与えてくれる神となったのです。 この神を仏教が取り入れ、大いなる智恵と弁舌の神という意味で弁才天としたわけです。 日本に伝わってきてからしばらくして、もともと川の神ということから、水難を防いでくれる神となって多くの水辺に祀られるようになったのです。 さらに時代が進み、江戸時代になると、才が財に変わってきました。弁財天となったのです。 才は優れた才能の意味だったのですが、この神の本来の性格として、財宝も与えてくれるということが強調され、商売繁盛の神として弁財天とも言われるようになったのです。 弁才天はもともと音楽の神であったわけですので、その像は音楽をかなでる姿に表され、琵琶を持っています。 八本の手を持ち、弓や刀、斧や羂索を持つこともありますが、多くは豪華な中国風の衣装をまとう貴婦人の姿をしています。 鬼子母神 鬼子母神の話はこういうことです。 昔、鬼子母神はパンチカという鬼神の妻でした。この夫婦には一万人の子供があり特に末の子を可愛がっていましたが、この夫婦はなんと他人の子供を捉えて食べて暮らしていたのです。 これを恐れる人々は、仏陀にお願いして、なんとか止めさせてほしいと頼んだのです。 仏陀はもっともだと言って、その夫婦の末の子を隠してしまいました。するとその夫婦は狂わんばかりに泣き叫び、どうか返してくださいとお願いしたのです。 そこで仏陀は、一万人の中の一人でもいなくなればそんなに悲しいだろう、まして一人二人しかいない子供をとられたらどんなに悲しいか分ったかと諭し、その夫婦を改心させて末の子を返してやりました。 その後、鬼子母神は子供を食べるのを止め、仏教に帰依して仏教を守る神になったのです。 仏陀が説得したとき、これを替わりに食べるとよいと言って、人間の味がするといわれるザクロを渡してやりました。 また、ザクロは多くの種を持っており、子宝に恵まれることも意味します。 このため、鬼子母神の像は女性で、右手にザクロを持っています。そして宝冠を冠り、中国風の豪華な衣装をつけて、多くの子供に囲まれています。 大黒天 大黒天といえば、すぐに俵の上に乗った柔和な顔つきを思い出しますが、最初はそうではなかったのです。 梵語ではマハーカーラといい、色の黒い戦いの神でした。色が黒いので大黒天といわれました。 これを仏教が取り入れ、寺院の守護神とされたのですが、五穀豊穣や、財宝を授ける神とされ、信仰を集めました。 時代が進むにつれ、ダイコクという名前が、大国に混同され、農耕の神、福徳の神として大いに信仰を集めてきたのです。 さらに江戸時代になると七福神に加えられますが、寺院では、仏教の守護神として庫裏(くり)に祀られることがあります。 大黒天の像は、そのようなわけで、曼荼羅の中では戦闘の神として恐ろしい顔で描かれたり、古い像では、柔和な顔つきをしていても、眉毛をひそめているなど名残を見ることができます。 しかし時代とともに大国のみことの温厚な性格を強調され、俵の上に乗って、まったく穏やかな顔つきになってきています。 五穀豊穣と財宝授与のため、大きな袋を肩にかけており、大黒の名の通り色が黒いのが特徴となっています。打ち出の小槌を持っているのも財宝を授けるためです。 仁王 仁王のルーツはギリシャ神話のヘラクレスにあるという説があるようですが、元々は執金剛神(しっこんごうしん)という一体の神だったのが、分身を作って二体に分かれたとされています。 このため一体の仁王もありますが、二体の場合も一体の場合も、長い棒状の金剛杵を持っています。 この金剛杵は、一体の神であった執金剛神のときに持っていた強力な武器であり、仏教を守護するものです。 二体のものは向かって左が阿形で口を開き、右側は吽形で口を閉じています。 閻魔王 梵語ではヤマといい、音写で夜摩といいます。 このヤマはまだ人間が少なかった頃、一切の人間の罪を背負って最初に死にました。そして死後も最初は天界にいたのですが、やがて地下に移されて地獄の帝王となりました。 これを仏教が取り入れ、閻魔王としたのです。 ゆったりとした服を着て、冠を冠り、罪状を記録するための細長い木の板を持っています。 韋駄天 足の速いことを韋駄天走りと言いますが、それは、この韋駄天が神々の軍勢の中で第一の俊足であり、仏陀が亡くなったとき、悪魔が遺骨を盗んで逃げたのですが、これを追いかけてみごとに取り返したと言われることに由来しています。 このことから仏教を守るというよりも、寺院を守るという意味において、寺院の本堂などに置かれることが多くみられます。 韋駄天の像は、甲冑を身に着け、合掌して宝剣をささげています。 |